らすたちゃん

新宿に住んでる20代ダメ女の日々です。たまにレビューとかも。

パパ死んじゃった

余りにもリアルというか現実に起こってもおかしくない悪夢を見て、恥ずかしながら泣いて起きた。
起きて自分の部屋の薄暗いカーテンを観た時、「夢で良かった」とこれほど心の底から思ったのは本当に久しぶりだったから、何があったか残しておく。


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父が死んだのだった。
何でもない旅行中、何でもない田舎の農道で、追突事故に巻き込まれて死んだ。
わたしは死に目には会えず、母からの淡々とした電話でそれを聞いた。

掛かってきた電話で、母は、「ちょっと旅行中に」と話し始めた。
わたしはいつもの軽口だと思って耳を傾けていた。
聞いてゆくうち、両親が事故に巻き込まれたらしいこと、そして母の口調が異常な悲しみを抱いていることに気付いた。
母は論理立てて経緯を話した後、最後に小さな声で言った。「パパ死んじゃった。」

その後の行動については断片的にしか思い出せない。
まだ事故現場付近に居るという母の元へ飛んでゆき、少し痩せた母と一緒に、現場迄脚を運んだ。

追突は2度あり、一台目で顔をゆがめていた父の腰元に、二台目の大型車が突っ込んだのだという。
いつもスピード違反ばかり繰り返す父の癖に、死んだのは他人の事故によってだった。
「パパとママは、ずっと一緒だと思ってたのに」
力なく呟いて泣くわたしに、母は言葉少なに相槌を打った。
事故現場では、なぜか見知らぬ大量の学生たちが、慰霊曲を合奏していた。
大学の交響楽団サークルだという。

わたしはただただ狼狽し、心が壊れたかのように、悲しみに打ちひしがれていた。
父がこの世にいなくなってしまったことへの悲しみではなかった。
母がこの世で永遠に一人ぼっちになってしまったことへの悲しみであった。
母は、父に完全に依存していたからだ。
生活の術という点ではない。
父は母の心の拠り所だったということを、私はよく知っていた。
わたしは、母が可哀想で可哀想でならなかったのだった。
だがわたしはこういう時、ただただ狼狽しながらも、酷く打算的、計画的に今後とるべき行動を思い浮かべることが出来るのだった。
間近に控える大学院受験は辞めよう。
これからは母も東京に呼び、あるいは一時的にわたしが故郷に帰り、生活を営む為に生活をしよう。
母が一度たりとも心細さを感じないよう、いつも笑顔で居られるよう、すべてを尽くそう。
そういうことを自分の中で瞬時に決めた。
「ママ、しばらくしたらでいいから、こっちきなよ。一緒に暮らそうよ。」
わたしがそういったときの母の顔は、だが、想像していたものと少し違った。
「パパが死んだから、ママはママの生活を全て捨てて、一人しかいない娘のところに転がり込めってことなの?」
わたしは面食らった。
憤りを抱いたその口調にではなく、隣に立つ母が、想像していたよりはるかに気丈であることにだ。
今迄、何等かのトラブルが起きた時、危機的状況に陥ったとき、いつも真っ先に狼狽するのは母だった。
わたしと父は大抵冷徹であった。
悲観することなく、着実に解決策をとり、涙ながらに不安に耐える母を落ち着かせるというのがわたしの役目であった。
だが今回の母は、そうしたひ弱さをどこかに忘れてきてしまったかのように、凛として目の前の現実を捉えていた。
ああ、この人はわたしの母親なのだな、と思った。
母は強かった。
対して、いつも冷静の皮を被っているわたしは情けないほどにぼろぼろであった。
普段全く流さない涙が溢れて溢れて、止まらなかった。
母がわたしに話しかけた。
「そういえば演奏してるの、ラスタの受ける大学のサークルの子達だって。」
「わたし、院受けないよ。」
「何言ってるの。ねえ入学したらこのサークル入りなよ。」
今、そんな話しないでよ。
と、下を向いて涙を流しながら思っていた。
思いながら、もしかしたらこの先の未来も何とかなるかもしれない、何とかしなければいけない、とそんなことを考えていた。


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とまぁ、オチは特にない話だけれども、今回の夢でわかったことがいくつかある。

1.自分は事故相手に恨みを抱いたり運命を呪う方向に感情が動かない(タイプの人間である)ということ。
2.自分が思うほど自分は危機対処能力に優れてはいないこと。
3.引き延ばしている余計な憂い(今回の場合大学院受験、その余剰費用、現在の人に言いづらい仕事等)は片づけてしまうべきということ。
4.母は多分、この状況になったら、夢と同様気丈な一面を見せるのではないかということ。(恐らく幼少期のわずかな記憶から今回の母の像は出来たものであった)
5.父は最も尊敬すべき人間で、常日頃自分は父にばかり似ていると感じていたけれど、結局わたしにとって一番大切なのは母だということ。
(勝手に死んだ父への怒りは有れど、父がこの世から消えたことに対する寂寥感は驚くほど無かった)
6.両親が元気で仲良く居てくれるのは、本当に感謝すべきものであるということ。

あー朝から怒涛の感情に疲弊させられたわ…夢とはいえお腹一杯過ぎる。
とりあえず、3.から今日は手を付けよう…。

嘘の虫

それと分かる社交辞令や建前などの所謂「嘘」は正直嫌いじゃない。
コミュニケーションを円滑にするし、わざわざとげのある言葉を吐かなくても、
お互いの距離を少し遠ざけて平和にする。
また、相手を褒める嘘や建前は、吐きつづけていればいつか本当にそうなる日が来る気もする。
わたしは基本的に嘘ばかりつくけれど、嘘をつきながら自分を嫌いになっているわけではない。

時々、
本心ではない言葉を発していることがわかるとき、小さな虫が飛んでいるような気がする。
そして今日気づいてしまった。
そんな気がするというよりも、本当に虫が飛んでいるのだ。
相手がにこやかに「うん、いいよ」
と発した瞬間に、小さな羽音を響かせてぶーん、と虫が
わたしの肩までとんでくる。
肩まで飛んできて、「全然よくなんかないぞ」と告げる。
相手は気付かず、まだにこやかな笑みを浮かべている。

その虫は小蝿ほどの大きさをしていて、色は黒。
羽音は、わたしが相手の嘘に気づいた瞬間に聞こえるようになる。
そして、その羽音を聞きつけた瞬間にこちらに向かって飛んでくる。
そして低い声で告げるのだ。
「嘘だよ、嘘だよ」と。

虫への対処は、声を聴いた者の自由だ。
わたしの場合は、嘘を承知しながらも会話の流れに乗ることのほうが多い。
なぜなら冒頭で書いた通り、嘘を嘘だと知っても、わたしはそれが嫌いではないから。
だけどたまに、ごくたまに、噛みつきたくなる時もある。
こころ穏やかでないとき、というのだろうか。
今までは「今後会うことも少ないのだから穏便に」
と思っていたものを「今後どうせ会うこともないのだからまき散らしてしまおう」
という心境の変化である。

ずっと行きたかった映画に、
約束をこぎつけようと画策していた彼女はほかの誰かと行ってしまった。
ショックを隠して評判を訪ねると、彼女はにこやかにストーリーを話し、「今度ぜひ行きましょうよ」という。
彼女の言葉を、一歩引いて待つ。
羽音が聞こえた。
瞬間、それまでわたしの顔に張り付いていた笑みが消えうせる。
「思ってないでしょう」
彼女の笑みも消えうせる。
「え・・・。」
虫はいつの間にか、わたしの手のひらで死んでいた。

そうして徐々にわたしは、虫をつぶすことを覚えていった。

駅で彼女を待っていた。
彼女とは、わたしの母親である。
遠くから姿が見える。
手を振っている。
長旅で疲れ切っていたわたしだが、笑顔を作り、こちらも手を振った。
「会いたかった!」
彼女は言った。
虫は飛んでこなかった。平和だと思った。
わたしも返さなくては。
喉がからからだと感じながら、言葉を絞った。
「わたしも!」

耳の後ろで、じじ、と羽音がした。
虫が、わたしの耳たぶにかじりついていた。
「嘘だよ、嘘だよ」
その声を聴いてわたしは凍った。
スーツケースを取り落した。
心配する母を見つめながら、もうわたしの顔に笑いはなかった。
耳の後ろに手をやる。
柔らかく肥え太った虫が、指の間で弱々しくもがいていた。
わたしは、手指に力を込めた。
ぷちっ。

シャッターが下りた。

遭難ホットケーキ

同居人がおやつを食べたいなどと子供のようなことを言うので、
子どものようなホットケーキを作った。
食べるものに頓着がないので、自分だけだと平気で毎日カロリーメイトとか、普通にある。
ひたすら効率を追い求めて一週間分料理して冷凍、ほぼ毎日解凍食ということも、普通にある。
だけど、こうして時間をとって料理する(といっても今回は軽食)という作業は結局自分の思考を落ち着かせるのにもなかなか良かったりするので、地味に助かる。
ということに、今日気付いた。

「他人と暮らす」って、昔は絶対に出来ないと思っていた。
基本的に一人が好きだからだ。
大勢と遊ぶのも好きだし、話すのも好きだし、長い話に耳を傾けるのも好きだし、お世辞沢山いうのも全く平気だし寧ろ好きだけど、一人こそ至高だった。
今でもこの考えに変わりは無い。
例外が一人出来てしまったというだけの話だ。
例外というのは私にとってエラーのようなもので、エラーは私の人生を遭難させたように思う。
昔抱いていた未来に対する予想と、あまりにもかけ離れた未来にわたしは来てしまった。
だけどそれは心地よい遭難である。
遭難には発見がある。
もう4年半経つけれど、今日はまた一つ見つけた。
きっと明日も見つけるだろう。
そうしてもっともっと知らないところに、脚を踏み入れてゆきたい。

最後にめしてろ♥

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ただ続けてゆきたい

毎日書こうと決心したものの、思って2日目にしてちょっと迷子になってしまった。
毎日更新してる人、すごいな。
思うのだけれど、ブログにしろほかのSNSにしろ、恐れ多くも芸術的な創作活動にしろ、何かを生むということにつきまとうモチベーションは、それこそ何より大切で、得難いものなのかもしれない。
才能ある人は今迄にも沢山見てきたけれど、彼らがモチベーションを保てないままやわやわとフェードアウトしてゆくさまも、それと同じく多く知っている。
まぁ、それも才能のうちと言われてしまったらそうかもしれないけれど。
「天才は1%のひらめきと99%の汗」とは実によく言ったものかもしれない。
わたしは天才じゃないから、努力を惜しみなく続けられてこそやっと人並みになれるだろう。
天才の自給自足しうるモチベーションは、天才でないわたしにとっては外部から「賞賛」とか「共感」といった形で与えてもらわなくてはならないものなのかもしれない。
その為にはまず続けなくては。
迷いながらでも続けないことには、見えない景色が先にあるのだろうと思っている。
見せてくれ。
見せてくれ。

波のはざまにある空家

ある人の書いた、闘病記を見ていた。
その人は女性で齢およそ15と言ったところにあり、重いアレルギー症に苦しまされていた。
ブログとして公開しているお陰で、わたしはそれを毎日読むことが出来た。
最初は一日に1記事、そして次第に3記事、4記事と更新のある日も増え、たまには数日更新が空く日もあった。
だが彼女はある日、更新を辞めてしまった。
ぱったりと、その日を境にブログは更新されることはなくなってしまった。
わたしには、彼女の日々を知る術は一切なくなってしまった。

実際のところ、彼女について知っていることなど、わたしには殆ど無いのであった。
彼女がアレルギー症だったかどうかも、
年齢が高校に入ったぐらいだということも、
女性なのかということも、
そもそもこんな人が存在していたのかということも、
私に断言することなど一つもできないのであった。
ブログを辞めた理由も、飽きたのか、何かきっかけとなる出来事があったのか、多忙なのか、あるいは彼女自体が遠くに行ってしまったのか、わたしにはわからない。

わたしが知っているのは、彼女がブログに記していった一文字位置文字だけである。
こういう日に誰かがこういう文章を書いていた、そんな事だけである。

生々しかった彼女の筆跡はそのままに、
しかしそのブログは、温かな料理を机に並べたまま空家のように、webの波の中に確かに存在し続けている。
だが、わたしはそのブログの中で何よりも身近に一人の少女として、彼女を感じることが出来るのであった。
ぞっとしつつも、わたしはそれで十分である気がした。

そんな風にして、わたしも自分のことを書いて行ければよいと思っている、というお話。

最後の更新には、一輪の白い花の写真が添えられていた。

ハローグッバイ?

最近よく人とする話題なのですが、
「『自分』って、いつから今の自分でしたか?」

純粋だった頃の記憶など、ありますか?
天使だった頃の自分は居て、何かきっかけのようなものによって段階的に大人になってきたのですか?
今高校生のそこの貴方、その気持ちは大人になっても思い出すことができるでしょうか?
昔の貴方を捨てて、今の貴方に乗り換えてゆくのでしょうか?

というのも、昔の自分の写真などを見ていると、
「この時はこういう風に感じていたなぁ」
などと酷く鮮明に思い出すことが出来るのです。
(記憶力がずば抜けて優れているという意味ではありません。)
勿論過去の自分の行動に恥じたり後悔したりして、
してはいけないことを学んだりして、
徐々に行動を(誤解を恐れず言えば)洗練してきたという経緯は有ります。
しかし、それすらも、いずれも自分の記憶の中に確かに存在しているのです。
つまり、自分がそうして変わってきたことを道筋だてて覚えていられるほど、
わたしは昔からの自分を今の自分に身近なものとして感じることが出来るのです。
好きなもの、嫌いなもの、楽しいこと、きらいなこと、
わくわくすること、いらっとすること、そういう諸々は、
昔から何一つ変わっていない気がするのです。

だとしたら、と時々思います。
「わたしの人生って一体何なのだろう。」

人と出会って、出来事を体験して、
人生は豊かになるのだと、しばしば聞きます。
人と出会っても、出来事を体験しても、
変わり映えのしないわたしの人生って一体なんなのだろう。
変わり映えのしないわたしの人生に交わってくれた人は、
多少でも楽しい思いをしてくれているだろうか。
わたしと関わって無益な時間を過ごしていないだろうか。
昔から今のわたしだったような気がするわたしは、
人と関わる価値のある人間だろうか。
これは、もしかすると結構寂しいことなのかもしれません。

もしかしたら、同じように感じている人も多いのかもしれません。
そもそも豊かな人生という存在こそ幻想なのかもしれません。
今のわたしだったからこそ感じることのできたこと、
出会うことのできた人、過ごすことのできた時がある気もします。
まぁ結局のところわたしに関しては、
「いつの時期も退屈せず過ごせてきたからそれでいいか」ということになります。

皆さんは、いつから今の皆さんでしたか?

こちらビジネス最前線

ドトールでコーヒーを飲んでいたら、早口・不自然な作り笑い・毛玉だらけのセーターという”ダメ詐欺師”みたいなお兄さんが、若い男女をネズミ講に勧誘しているのに出くわしました。男女ともに死んだような瞳でお兄さんの空回りギャグを寒そうに聞いていました。
「わぁカップルかしら、不穏だな。でも全然響いてなさそうだから平気かな?」
と思いつつ見ていたのですけれど、お兄さんが去った後、二人のうち女性の方がお兄さんの座っていた席に移動し、明らかに納得のいっていない表情の男性の言い分を親身に根気よく聞き出し、そうしてゆるやかにもう一度当該ビジネスの利点をより明瞭に的確に説き始めたので、
「闇が深すぎる!」
と思ったわたしでした。