らすたちゃん

新宿に住んでる20代ダメ女の日々です。たまにレビューとかも。

嘘の虫

それと分かる社交辞令や建前などの所謂「嘘」は正直嫌いじゃない。
コミュニケーションを円滑にするし、わざわざとげのある言葉を吐かなくても、
お互いの距離を少し遠ざけて平和にする。
また、相手を褒める嘘や建前は、吐きつづけていればいつか本当にそうなる日が来る気もする。
わたしは基本的に嘘ばかりつくけれど、嘘をつきながら自分を嫌いになっているわけではない。

時々、
本心ではない言葉を発していることがわかるとき、小さな虫が飛んでいるような気がする。
そして今日気づいてしまった。
そんな気がするというよりも、本当に虫が飛んでいるのだ。
相手がにこやかに「うん、いいよ」
と発した瞬間に、小さな羽音を響かせてぶーん、と虫が
わたしの肩までとんでくる。
肩まで飛んできて、「全然よくなんかないぞ」と告げる。
相手は気付かず、まだにこやかな笑みを浮かべている。

その虫は小蝿ほどの大きさをしていて、色は黒。
羽音は、わたしが相手の嘘に気づいた瞬間に聞こえるようになる。
そして、その羽音を聞きつけた瞬間にこちらに向かって飛んでくる。
そして低い声で告げるのだ。
「嘘だよ、嘘だよ」と。

虫への対処は、声を聴いた者の自由だ。
わたしの場合は、嘘を承知しながらも会話の流れに乗ることのほうが多い。
なぜなら冒頭で書いた通り、嘘を嘘だと知っても、わたしはそれが嫌いではないから。
だけどたまに、ごくたまに、噛みつきたくなる時もある。
こころ穏やかでないとき、というのだろうか。
今までは「今後会うことも少ないのだから穏便に」
と思っていたものを「今後どうせ会うこともないのだからまき散らしてしまおう」
という心境の変化である。

ずっと行きたかった映画に、
約束をこぎつけようと画策していた彼女はほかの誰かと行ってしまった。
ショックを隠して評判を訪ねると、彼女はにこやかにストーリーを話し、「今度ぜひ行きましょうよ」という。
彼女の言葉を、一歩引いて待つ。
羽音が聞こえた。
瞬間、それまでわたしの顔に張り付いていた笑みが消えうせる。
「思ってないでしょう」
彼女の笑みも消えうせる。
「え・・・。」
虫はいつの間にか、わたしの手のひらで死んでいた。

そうして徐々にわたしは、虫をつぶすことを覚えていった。

駅で彼女を待っていた。
彼女とは、わたしの母親である。
遠くから姿が見える。
手を振っている。
長旅で疲れ切っていたわたしだが、笑顔を作り、こちらも手を振った。
「会いたかった!」
彼女は言った。
虫は飛んでこなかった。平和だと思った。
わたしも返さなくては。
喉がからからだと感じながら、言葉を絞った。
「わたしも!」

耳の後ろで、じじ、と羽音がした。
虫が、わたしの耳たぶにかじりついていた。
「嘘だよ、嘘だよ」
その声を聴いてわたしは凍った。
スーツケースを取り落した。
心配する母を見つめながら、もうわたしの顔に笑いはなかった。
耳の後ろに手をやる。
柔らかく肥え太った虫が、指の間で弱々しくもがいていた。
わたしは、手指に力を込めた。
ぷちっ。

シャッターが下りた。