らすたちゃん

新宿に住んでる20代ダメ女の日々です。たまにレビューとかも。

「付き合う男がことごとくMになってしまう」M女の悩みを聞いてくれ

付 き合ってこそ見える相手の一面、というものがあります。あるいは、付き合ってゆくうちに互いの影響を受けて現れた一面、というものも。いずれにしろ、それ が喜ばしいものである場合は宝物を掘り当てたようなものなので良いのですが、そうでない場合、勝手ながらいたく失望したり、狼狽することになります。

わたしは極度の被虐性癖の持ち主(所謂ドM)なのですが、自分の欲望に反して、付き合う男性の8割と言ってもよい人達が、付き合った途端それまでの性癖を捨て去るかのごとくM男になってしまうという悩みがあります。

「お前最初のセックスでは超オラオラきたじゃない!何だよ犬にして下さいって!?ふざけんなよ!」

と いうことが、定期的に起こるのです。Mの男性は忠誠心が高く、わたしが気を悪くするというようなことは殆どしない為ストレスはたまりません。又、わたし自 身元がM豚なので「被虐心」というものについてはよく理解が出来、男性の気持ちを汲んだ上で先回りしてプレイをするという形であれば、なかなかうまくいっ ているという現状です。

実際、Sの心理というものは相手の要望をうまく汲み取り被虐心を満たすとい う「サービス精神」無しには成り立たないものです。自分勝手に相手を虐めるだけの「横暴」とは大きく異なるのです。ですから、そういう意味でのわたしのS は、最早本質に近づいている気さえします。過去に半年ほどS◯嬢をしていた期間にはこの傾向が一層顕著であり、「なんで、なんでわたしが」と思う気持ちを 抑え込み心を麻痺させて、奉仕の精神で相手を責めることが殆どでした。(ならそんな仕事就くなって話ですが)

これはもう、自分が調教されて無理矢理加虐者へとに変容させられている、というプレイの一つなのかもしれません。が、そんな調教、ちょっと泣いてしまいそうなのです…。

こんなことを聞くのはちょっと無茶ぶりのような気もしますが、なにかいい知恵がある方はご教示頂けないでしょうか。ご無理でしたら、殿方は是非一度わたしとセックスして頂けませんでしょうか。どうぞよろしくお願い致します。

書かないと良識派の方々には叱られてしまうかもしれないので一応書きますが、セックスしての下りは「冗談」です。

皆さんの性生活に幸多きことを。

単純であれない

一 つの愛を長持ちさせるのがいかに難しいかという問題について、もう十数年ずっと考え続けている。何寒いこと言ってんの?と思われるかもしれないが、この問 題さえ乗り切ることができればうまくいくのにという壁に、今迄何度もぶち当たって来たからだ。数限りない人が同じ悩みを抱き、試行錯誤し、それでも絶対的 な解決法など見つかっていないのだから、今更になってこの私ごときが結論を出すことは、おそらく無理だと思う。

それでも、こうした今迄の自分の二十数年で得た答えというものがそれなりにある。
とてもシンプルで真っ白く、明快である。
「いつだって単純であれ」というものである。

正直、愛に限らず、生きてゆく上で「単純さ」というものは一つの打開の道になると思っている。
いつも何に於いても、何かの答えは非常にシンプルだからだ。
多くの場合、わたしたちは目の前の事実を歪曲して受け止め、困難に解釈し、迷路に入り込んでしまう。
困難など、実際のところどこにもないのである。
絶対にしなければならないこともないし、してはいけないこともない。
試験に落ちたら別の道に進めば良い。
金が無いなら働けば良い。
嫌いな人は避ければいい。
避けられないなら誰かに助けを求めれば良い。
問題が生じたら相談して解決策を探ればよい。
単純なことである。
不快を忘れよ、単純であれ。
悲観するな、単純であれ。
模索すれど、単純であれ。
愛せよ、そして単純であれ。
正直、これに尽きると言ってもよいと思う。

ただし、である。
実際のところ、こう単純さを広く当てはめると、世の中「商売あがったり」になるのは目に見えている。
不快は排除できるが、それは同時に(時に最高の)会話の切り口だ。
悲観は、今より先の未来を発展させるかもしれない潤滑油だ。
模索は、あらゆる可能性や方策の布石と貯蔵だ。
愛は、
愛は、、、?
愛は、単純でいい。
愛は、単純さに殺されない。
愛だけは、単純さによってつまらないものにならないのだと思う。

だから他の多くのものについては、「むやみやたらと」単純化の逆を行けばいい。
ただし、「愛は、いつだって単純であれ」。

『青空のルーレット』という最高の青春小説を読みやがれ!

はーい、内気なモラトリアム共!たのしいブックレビューのお時間よ。

ブックファースト新宿店に寄ると、いつもかならず、マジでかならず青春小説が読みたくなるのよね。
『青空のルーレット』みたいな。

理由はこの間本読みながらも注意して店内を観察していたら気づいたわ。
「流れているピアノのBGMがめっちゃ合う」のよ。今度機会があったら聞いてみて頂戴。えへへ。
まぁ、それは置いておいて!
今日はそんな店内BGMがいつの間にか軍歌に切り替わっても気づかないほどに夢中になれちゃうきらきらまばゆい青春小説、『青空のルーレット』について、その魅力をご紹介するわね。

【書籍情報】
『青空のルーレット』
辻内智貴
2004年 光文社出版(文庫版)
太宰治賞受賞作『多輝子ちゃん』も収録)

【ストーリー紹介】
青空の下、ビルのてっぺんから釣り下がり窓を拭く人達を、見たことがあるかしら?
これは、そんな窓拭きという仕事に就きながらも、各々の夢を追い続ける男達の熱い友情ストーリーなの。
音 楽をやりたいという主人公の視点で物語は進むけれど、そこには主人公と異なれど同じひたむきさで夢にむかって走り続ける人達の姿が描かれているわ。怪我や 上司との衝突等、時に不条理とも取れる苦悩を味わいながら物語の盛り上がりに伴って大きな苦境に立たされる彼らだけれど、「夢を見る」という生き方の尊さ と切なさを、読み手に強く訴えかけてくる作品よ。

【名場面抜粋】

「人間はな」
岸野の肩越しに奥田を見据えて、萩原さんは言った。
「夢を見るから、人間なんだっ」そう言った。
「夢を叶える事よりも、夢を見ることで、人間は人間になれるんだっ、お前なんかに分かってたまるかっ」
震える声で、萩原さんは言った。
』(p.85より)
殆ど著者の主張がここに集約されていると思う箇所ね。

【所感】
実はこれ、読んだことあるって人も多いのじゃないかしらと思うわ。というのも、わたしが初めてこれを目にしたのは高3の時受けた駿台かどこか主催の模試の問題文だった気がするもの(うわ年がバレる!!!)
ス トーリーにギミックや鮮やかな伏線があるわけでも、登場人物のキャラ立ちが甚だしいというわけでもないんだけど、何度も読み返して畳をゴロゴロして「ア アァァァイイイィィィ!!」とのたうち回りたくなる、文句なしの傑作だと思うわ。ぶっちゃけると、この小説内で彼らの夢がどうこうなって叶ったり叶わな かったりという点は、細かく明記されてはいないわけ。この物語に於いてもっとも描かれているのは、「夢を見る」=「生きる」という、【名場面抜粋】でも 堂々明記されている命題そのものなのよね。
作者の辻内本人が、無名のシンガーソングライターとしての時代を経て小説を書くに至ったという、彼自身 の骨肉を絞って生まれた物語だということが大きく影響しているように思うわ。彼自身の「夢」に対するロマンと憧れが、みずみずしく心を打つ物語を紡いだと いうことでしょうね。

本作からは逸れるけれど、同時に収録されている『多輝子ちゃん』も馬鹿みたいに素敵なお話よ。
辻内の作品はどれもキーとなる一文でドカンと胸を射抜かれるような衝撃を受けるけれど、この作品も同様。
多くは語りませんが、一読をお勧めするわ。
あと・・・どうでもいいけどこの本の書籍情報を調べるにあたって、amazonのレビューをいくつか読んだのよね。
書いてらっしゃる皆様方の文章能力が高すぎてちょっと引いたわよね。
こんなみそっっっっかすなレビューをnoteの挙げてる女もいるってのによ。やだー、救いがないわ(笑)
・・・さ、誰も否定してくれない自虐にらすたおねえさんの尻がちょっぴり燃えたところで、今日はおしまいっ★
おねえさんのおすすめは絶★対だから、みんなちゃんとよむのだゾ??
じゃあ、またねーん♪

わたしのおすすめは信用しないで欲しい

ライターとしての仕事が増えるにしたがって、
どんどん自分が人前で「長語り」をしがちになっている気がして、恐怖を感じます。
何 かをアツく語り過ぎるというのは、どんな話題にしてもあまり宜しくない、というのがわたしの信条です。信条というほど大げさに言うほどのことでもありませ んし、そして面白い話をする自信のある人ならそんなことないのかもしれませんが、わたしは人に聞かれたときでさえ、話す時間はなるべく短く、回答はシンプ ルにするよう、今迄心掛けてきました。だって長話する人って「超うざい」んだもの。
そもそも人に何かを聞いて貰いたいときには、
~(略)~

・・・ほら!またやらかしそうになっているでしょう。こういう無粋さをさっさと失くしてしまいたいというのに。

長く語ることに加えて避けたいのは、
「人に何かを強く勧める」ことです。
映 画、音楽、スポーツ、本、食べ物、人を楽しませる娯楽というものに限りはないけれど、娯楽は自分で選ぶからこそ娯楽であり得ます。人に勧められた映画を観 てつまらない思いをした場合、多少なりとも時間を無駄にした気持ちになることがありませんか。(不思議なことに、私自身はあまりこういうことを感じるわけ ではないんですが、)勝手ながら人とはそういうものだろう、と踏んでいるのです。そんなわたしなので、人に何らかの機会にお勧めの何かを問われた時には、 非常に苦しい思いをします。

「おすすめの映画ある?」
なんて聞かれた暁には、
『この人の好みはなんだろう?』
『できるだけソムリエのように、気に入ってもらえるものを選びたい(いざ勧めたもので気を悪くしてもらいたくないので)』
『あ、でも聞かれた以上は多少センスあるって思われたい・・・』
というような象をも倒す程の面倒な考えが頭の中をぐるぐるまわり、
「バ、バ、バックトゥーザフューチャー、かな」
と結局おっかなびっくり答えることになります。
おすすめをこたえることに自信がなさすぎるというだけかもしれないですけれど。

「考え過ぎだよ!」
と言われてしまいそうですね・・・

え?それで、おすすめの映画を教えて欲しい?

うーん・・・そうだなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
や、やっぱりバックトゥーザフューチャー、かな・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自己紹介に代えてわたしの「苛々スイッチ」を聞いて

こんにちは。
関東で夜職を営む女です。
別HNでは霊筆を少々しています。
自己紹介が死ぬほど苦手なので、代わりによくイラッとするものを箇条書きで。
ほら、「その人が嫌うものがその人を最も良く表す」って言いますでしょ?え、言わない?
まぁ兎に角、つべこべ仰らずご覧になっていただければと思います。

【苛々スイッチ】
・「水商売の女」が自分の事を「水商売の女」と得意げに語ること
・「モテ」という単語やそのノウハウ
・「ビッチ」の濫用
・深夜ポエムならぬ白昼ポエム
・金が欲しいと不特定多数にのたまう男女
・上記と同時に、貧乏をファッション化すること
・声が大きすぎる、あるいは言葉が汚い女性
・働かない男性

こういったリアルさが親しまれるのでは、と思って書いていますけれど、今現在不安しか御座いませんね。
これに懲りて、今後の記事では毒にも薬にもならないものばかり書くことになるやもしれません。
とりあえず今頭にあるものは以下になります。↓↓

【今後書こうと思っているもの】
・映画、音楽、本のレビュー
・短めの随筆

まだ一つも書いてないのに申し上げるのもおこがましいですが、どなたかの目に留まることが御座いましたら、非常に嬉しゅうございます。キャハッ★

どうぞよろしくお願い申し上げます。

【映画】『イントゥ・ザ・ウッズ』とかいう重苦しい現代寓話にわたしがハマった4つの理由【レビュー】

昨日(平日の昼間から)映画館に行き、イントゥ・ザ・ウッズを観てきた。

www.disney.co.jp



感想としては、「わたしは凄く好きだったけれども、世間の評判はもしかしたらあまりよくないのではないのか。」といったところだ。
というのも、世間のというかディズニーの、毒にも薬にもならないハッピーエンドの作品を多く観てそれを好む人達が、この作品のダークで陰鬱とした世界観とストーリーを好むかどうかは、甚だ疑問だからである。
ちなみにツイッターで作品名を入力したら「Oh...」という感じだった。

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これまでのディズニー作品とその作風について語ることはここでは避けたい。なぜなら、これ以上言うのはなんか怖いから!!!


わたしの独断と偏見を許せる人のみ、この映画の魅力を、なるべくネタバレを排除した方向で説明するので、wikipediaを読んだ後にでも目を通してみてほしい。
(ネタバレ絶対イヤ!という人は見ないほうがよいかも。あくまで自己尺度なので…)ネタバレかも?と思う部分は白文字にしてあるので、文字選択すれば読めます。

★★★ここからレビューだよ★★★

まず、この物語のあらすじはこうだ。
『パン屋の夫婦は、魔女の呪いのせいで子どもが授からないでいた。呪いをとくためには、ミルクのように白い牛、赤い頭巾、黄色い毛、金色の靴が必要だと言う。夫婦はそれらを探すために森の中へと入っていく。そこでシンデレラ、赤ずきん、ジャックと豆の木ラプンツェルなどの童話の登場人物たちと出会う。』
(出典:イントゥ・ザ・ウッズ - Wikipedia

それに対し、ディズニーが公式のプロモーションで語ってきた紹介は以下の通り。
『シンデレラ、ラプンツェル、赤ずきん…ディズニーが“おとぎ話の主人公たち”のその後を描く』
(出典:イントゥ・ザ・ウッズ|映画|ディズニー|Disney.jp |


…まぁ間違っては居ないのだが、このディズニーの紹介文句を鵜呑みにしていった(原作を知らない)視聴者は、まずストーリー、とりわけパン屋の存在感に混乱することだろう。
「誰この夫婦…」
「え?この人たち結構な頻度で出てくるけど主要人物!?」
となるのである。

そして、この映画の諸々の特徴は、これまでのディズニーミュージカル作品の”ハッピー””ラブアンドピース””ファミリーフレンドリー”な作風を大きく逸脱しているのである。
(今迄の作品、といってわたしもそんなに沢山見ている訳ではないのだが、例えば「魔法にかけられて」。観ていて「これこれェ!!!」と叫びたくなるほどのハッピーエネルギッシュラブコメであり、これぞディズニーかと思ったものだ。)

1:まず、兎に角メッチャ暗い
全編通して非常に陰鬱とした雰囲気がまとわりついている。
あらすじの部分でも触れたが、予想外に重い湿度を伴い、物語が進むことになる。
(よく知られている物語の主人公達が互いに交錯し運命を泥沼化してゆく展開であるから当然ではあるのだが…。)
そもそも舞台となる「森」が、兎に角暗く恐ろしい。
西洋における「森」は、日本人の感じる森林のイメージと大きくかけ離れている。
健康、平和といったグリーンカラーではなく、「暗く不気味で得体のしれない箱庭」に近い描かれ方をしている。

2:また、童話をモチーフにしている割に、映像美に重きを置いていないように思われる。
アニメではなく実写において、CGによるファンタジー描写ではなく、「ここまで細部見せちゃう?」と思うような写実描写が多い。(ここからネタバレの恐れ↓)
赤ずきんが狼の腹に飲み込まれるシーン等、子供の頃に誰もが頭の中、想像で補ったであろうシーンが、多少デフォルメされてはいるものの詳細に映像化されており、人によっては気持ち悪いと感じるかもしれない。
シンデレラが舞踏会に赴く城も、豪華な装飾を除けば(本当に実際はこんな感じなのだろう)黒々としていて光が無く、寒そうで汚ならしい。
(ネタバレここまで↑)ただここにも、この作品を平和なファンタジーにとどまらせず、現実的でグロテスクな部分も敢えて見せようという、制作側の意図が感じられる。

3:またここで好みが大きくわかれるのだろうが、登場人物がどれも大変に俗世的である
いつまでも長たらしく言い争ったり、議論した末結論が出ないまま動き出したり、自分の信念を容易に曲げたり、他人と比較して嫉妬したり、罪を他人に擦り付けたり、独りよがりだったり、それはもう枚挙にいとまがないほど「嫌らしい」。(ここからネタバレの恐れ↓)
極め付けは浮気とかしちゃう。
(ネタバレここまで↑)子供にこんな展開見せられませんわ、と思う親御さんも多いことだろう。
だが、どれも現代に生きる我々なら、多分に共感できるものがあると思う面ばかりである。
寧ろ今迄のファンタジーでのご都合主義を盛大に忘れ去り、「これこそ人の真理なり」と思わされる、非常に肉感的で魅力的な彼らであった。
キャストも、絶世の美女美男子というよりは「あ、なんか居そう」(失礼!)という容姿が多いのも良かった。
それだけに、随所で入る夢見がちなミュージカル要素は多少浮いていたが…(勿論音楽自体は素晴らしいけれど)。

4:そして最も存在感を持つのが、強烈な教訓の数々である。
「正しく生きなさい」「きっと誰かが助けてくれる」「子供は遠くへ行ってしまう」等、登場人物の台詞からいくつか「これがテーマか」と推察できるものがある。(完コピではない)
こうして並べてみると脈絡のない其々のキーセンテンスであるが、物語を通して受け止めると「なるほど…」となる。
誰もが愛情深く善人で最終的には良い選択をする、という構図では響かないであろう、こうした教訓が、物語後半で視聴者の胸を打つのである。
ハッピーエンドとは異なるが、鑑賞後に不思議な爽快感があると共に、もう一度観たいと思わされる作品であった。

結論:『イントゥ・ザ・ウッズ』は現代寓話。ドキュメンタリー好きな大人こそ観よ!

ちょっと強引だが、否定形を用いずに言えばこういうことになると思う。
まぁわたしは、近年観たディズニー映画では断トツに好きでした。
よければ劇場に脚をお運びください。

あと、内容とは全く関係ないですが、新宿バルド9のフィッシュ&チップスほんとに美味しい。
貧乏舌の自分が言ってもという感じだが、わたしはあれを食べる為に映画館に足を運んでいるといっても過言ではないのである。
なので、うん、まぁ、機会があればそっちも是非。

【実験と考察】スマホってほんとに必要か?

失くすことで気付くこと…

何が自分を支えているかなんて殆どの場合、それを失いかけているときにしか気付けないものでしょう。

隙間時間の潰しにはスマホは便利ですが、果たして人生にそんなものが存在するのでしょうか。中学を卒業するまで、わたしはその存在に一切頼らず生きてきました。それまでの方が、登下校、塾の行き帰り等今で言う「隙間」は多かったと確信しています。(わたしはハンパない辺鄙な土地に住んでいたので・・・。)その時間を、「隙間」ないし「無駄である」と感じたことなど、一度もないのです。路肩を散歩する老人と犬を見ることや、母親が子供を叱る声、通り過ぎる車のエンジンの音を聞くこと、スーパーの店頭で売られている腐りかけたトマトの匂いや尾を引く男性の香水の香りを感じることは、とても素晴らしかった。すぐ顔も忘れるような誰かと少しの世間話をすること、バスの座席で本を読むことは私にとって寧ろ「ご褒美」のようなものだったはず。それらを、イヤホンから好きなタイミングで好きな曲やラジオを聴くこと、検索すること、記事を読むこと、知人とのコンタクトをとることに代えてまで、私がしたかったこととはいったい何だったのでしょう。

■動機:

スマートフォンを持たずに外出してみて気付くことを、1週間の間に集めてみようと思いました。

家に帰ればPCもありWEB環境も十分に整っているのだから生きては行ける筈です。

正直今になっても、突然一人にされると心が躍ってしまう性質だから「退屈を感じる」ほどの依存しているとは思わないのだけれど、先日着信が鳴ると考えもなくスマホを握りしめていた自身に気づいて、「なんかやだなぁ」と思ったのです。
なんかやだなぁ・・・。

正直に言えばつまり私は、感受性を鈍らせることが怖かったのだと思うのです。面倒くさいですね。
「それは別にスマホのせいじゃねーよ!」と言われるかもしれません。年とともに目新しいものは減る訳だから、鈍るのは仕方がないのかもしれません。だけどわたしはやらずにはいられなかったのです。何気なく手にしているものを何気なくそのままにしておくことで、いつか「あの時もっと必死に感覚を研ぎ澄まして生きていればよかった」と思うことになるのが怖かったのです。「あわよくば」と手に入れたもので、自分にとってもっと大切な何かが少しずつ削り取られてゆくのが、怖くてたまらなかったのです。実際「何かをなくすことで得られる何かを求める」ということ自体に矛盾とエゴは必ず存在していますし、昔からこの手の手段(突然なにかいままでしていたことを「やめて」みるといった・・・)は、わたしの何か真剣に物事に取り掛かる際の「願掛け」のようなものでもあるので、これが「意味のある新しい試み」に当たるかと言われれば正直そんなことないと思うのです。
でもまぁ!思い立ったが吉日というじゃない。やってみようと思います。

■実験内容:

とりあえずの実験なので以下の期間・ルールとします。

<期間>

一週間(1/11-19)※執筆時点でスマホ不携帯です。

<ルール>

スマートフォンの解約は行わず、家の定位置に置きっぱなしにする。

・以下の用途かつ家にいるときのみ、スマートフォンを使用する。

 目的1:家電話

 目的2:iPod

(上記2つはスマートフォンがなかったら代わりに買っていたであろうもの)

・アプリなど他デバイスで使用可能なものについて、自宅PCからの使用は特に制限しない。

 

■気付き:

主観を多分に含みますが、以下の欠点・利点を発見しました。

<欠点>(⇒対処法(あるもののみ))

・道に迷ったときに誰も居ないとほんとに詰む

⇒殆どそんな場合ってない。初めて行く場所なら駅員さんとかタクシーの運転手さんに聞けば大抵大丈夫。それか地図を印刷していく。

・片手でメモ取れないのが地味に不便(スマホのメモ機能に慣れ過ぎた)

⇒両手でとれやーって話。怠慢乙。

・検索による情報(辞書・天気・レシピ・多少の教養(笑)・乗換)を得られない

⇒な ん と か な る !

・電車に乗ってるときにチェックしてたニュースを読まなくなった。

⇒チェックするタイミングをずらす。TVやPCからチェックするのもよし。

・緊急連絡や当日の誘いに応えられないのはやっぱりきつい・・・

・荷物が増える。

 ⇒減らす努力で記憶力が上がるという利点につなげる。

・カレンダーどうするって話・・・。

スマホばっか弄ってる人が目につくようになる。

・書類を画像化して保存してたので、見られなかったり本を漁ったり面倒。

 

<利点>

・読書時間増える。めっちゃ増える。片手に常に本。

・周りの音や景色により敏感になれるので歩くのが苦じゃない。

・集中力がつく。(マルチタスクしなくなるので)

・字書くのが億劫じゃなくなる。下手だけど。沢山書くようになるので。

・記憶力は多少改善される。脳内メモの活用は結構便利。

SNS見なくて済む^^

 

■総合的考察:

まず期間が短すぎました。もっと深く考察するには1月以上続ける必要があった。ということで、現段階での考察が十分でないことをお断りしたうえで…。

断捨離推奨家じゃないので不便を美徳とするつもりはなく、やっぱりスマホって超便利だなぁと感じ続けた1週間でした。多機能故荷物は減るし、何かを調べる場合スピードでブラウジングにかなうものは今のところなさそうだし、クラウドでの情報共有はつくづく革新的だと思います。一般的な利用用途に留めたとしてもコストパフォーマンスは高いです。また世の中の大半が端末保持者である為、そういう人達に合わせた社会インフラ構造になりつつあります。その中で「携帯持ってないんですう」というスタンスは、ビジネス的に信用を得づらいかもしれません。

ただしそこに明瞭な理由があれば別の話。

ただ、あまりにも享受するものが多すぎて、自分自身をアップデートすることを忘れてしまうということを、今回持たずの1週間をつくってみて知れたのは非常に有意義でした。

 

■結論:

スマホは必要。でもたまに置き去りにする日を作るとか、「スマホではしないこと」を明確に決めておく方がよいかも。持たないと決めるなら手間と金が必要になる。何らかの工夫が必要な現代・・・。

 

 

・・・なんか画像抜きのNAVERまとめ劣化記事みたいなやつになってごめんなさい(笑)

皆さんも、気が向いたらスマホ不携帯ライフをおくってみてはいかがでしょうか。