らすたちゃん

新宿に住んでる20代ダメ女の日々です。たまにレビューとかも。

単純であれない

一 つの愛を長持ちさせるのがいかに難しいかという問題について、もう十数年ずっと考え続けている。何寒いこと言ってんの?と思われるかもしれないが、この問 題さえ乗り切ることができればうまくいくのにという壁に、今迄何度もぶち当たって来たからだ。数限りない人が同じ悩みを抱き、試行錯誤し、それでも絶対的 な解決法など見つかっていないのだから、今更になってこの私ごときが結論を出すことは、おそらく無理だと思う。

それでも、こうした今迄の自分の二十数年で得た答えというものがそれなりにある。
とてもシンプルで真っ白く、明快である。
「いつだって単純であれ」というものである。

正直、愛に限らず、生きてゆく上で「単純さ」というものは一つの打開の道になると思っている。
いつも何に於いても、何かの答えは非常にシンプルだからだ。
多くの場合、わたしたちは目の前の事実を歪曲して受け止め、困難に解釈し、迷路に入り込んでしまう。
困難など、実際のところどこにもないのである。
絶対にしなければならないこともないし、してはいけないこともない。
試験に落ちたら別の道に進めば良い。
金が無いなら働けば良い。
嫌いな人は避ければいい。
避けられないなら誰かに助けを求めれば良い。
問題が生じたら相談して解決策を探ればよい。
単純なことである。
不快を忘れよ、単純であれ。
悲観するな、単純であれ。
模索すれど、単純であれ。
愛せよ、そして単純であれ。
正直、これに尽きると言ってもよいと思う。

ただし、である。
実際のところ、こう単純さを広く当てはめると、世の中「商売あがったり」になるのは目に見えている。
不快は排除できるが、それは同時に(時に最高の)会話の切り口だ。
悲観は、今より先の未来を発展させるかもしれない潤滑油だ。
模索は、あらゆる可能性や方策の布石と貯蔵だ。
愛は、
愛は、、、?
愛は、単純でいい。
愛は、単純さに殺されない。
愛だけは、単純さによってつまらないものにならないのだと思う。

だから他の多くのものについては、「むやみやたらと」単純化の逆を行けばいい。
ただし、「愛は、いつだって単純であれ」。